?ローマ・ヴェレトリ石棺のヘルメス像
この逸話に登場する大神王像を昆沙門天像と同定する研究者は多い。後に中国では神王と言うと毘沙門天を指す場合が少なくなく、また、強盗に入った王を撃退した神王の冠についた鳥像を、中国や日本の昆沙門天像(トバツ形を含む)が破る鳥冠や宝冠の鳥形装飾のルーツと考える傾向があるからである(図?)。田辺氏は、前記したように(兜跋)毘沙門天像に共通する鳥や翼のモチーフを、ヘルメスの一対の翼状装飾がファロー神の頭部に移植され、毘沙門天像に変形して応用されたという説を展開し、中国・雲岡石窟第八洞の守門神像(図?)も(兜跋)毘沙門天と比定されている。しかし、私はこの雲岡石窟の守門神像は毘沙門天像でなく、中国で毘沙門天像が流行する以前の武装した守門神像とした方が正鵠を得ていると思う。たとえば先に述べた迦毘羅神王などはその典型的な例で、河南省宝山霊泉寺大住聖窟外壁門には隋代作の迦毘羅神王像(図?)が浮彫りされ、鳥翼装飾は見当らないが、後の昆沙門天像と見間違えるほど武装した姿で表現されている。迦毘羅神は『孔雀王呪経』では東方を守護する四夜叉(ヤクシャ)の一つとされ、後に中国では伽藍の守護神やあらゆる福徳をかなえる福神として崇められた。その意味では、玄奘が見聞したカーピシーの大神王像が伽藍の東門に祀られている点と財宝神的特色が顕著な点が、迦毘羅神の属性と一致している。私は迦毘羅神は昆沙門天と同じインドのクベーラ神を起源とすると考えているが、もし、質子伽藍の大神王像を、独尊として毘沙門天像が成立する以前のクベーラの姿をとどめた迦昆羅神とすると、玄奘がバルフで毘沙門天像と明記しカーピシーでは大神王像と区別した理由もうなずける。この質子伽藍の大神王像は寺宝を守る財宝神としての機能が強く、よりクベーラの原初的イメージに近いと言えよう。
そして、私はこのカーピシーの大神王像もサイノ神のイメージを有していると思っている。それは、守門神自体が門内の聖域と門外の下界を分かつ境界神であり、また、大神王像の冠の鳥像がヘルメスと同様にサイノ神のシンボルと見做すことができるからである。この点は、全世界に共通のサイノ神のシンボルという大問題に発展するが、本連載の最初の号で私は、中沢新一氏の意見によるサイノ神=道祖神の、内/外、地下/地上、死の領域/生の領域といった境界性的・両義性的な神格を指摘した。その中でも、サイノ神の鳥や翼のモチーフは、死と生の領域を繋ぐ意味合いが強い。例えばローマのヴェレトリの石棺(図?)には頭に翼をつけたへ
?四川省慮山県出土王暉石棺「半開の扉」
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